論理学FAQのブログ

授業でもらったコメントに対して書いたリプライを、ブログ形式に編集しました。

C.I.ルイスの厳密含意 (1)

今回はコメントへのリプライではなく、ひとつのまとまった話として。

古典論理の含意  A\supset B は「 A が偽であるかまたは  B が真であるときそのときにかぎり真」と定義されます。言い換えれば、

  A\supset B = \neg A\vee B

です。このようにして定義される含意を「実質含意」と呼びます。実質含意は、私たちの「ならば」についての理解とはかけ離れた、いろいろとおかしな帰結を導くということで批判されてきました。とくにもっとも初期から批判されてきたのは、次の2つの推論が妥当になるという点です。

  \neg A\models A\supset B  B\models A\supset B

1つめは「偽なる命題 A は任意の命題  B を含意する」、2つめは「真なる命題  B は任意の命題  A から含意される」です。 A に何でもいいので偽なる命題 ( 2+2=5 とか) を、 B に何でもいいので真なる命題 (讃岐うどんはうまい、とか) を入れてみてください。なんだか変な含意命題が帰結するはずです。

この2つの、古典論理では妥当とされるのに、直観的にはおかしな推論を実質含意のパラドクスと呼びます。

さて、プラグマティズムの哲学者としても知られるC.I.ルイスは、1912年の論文

academic.oup.com

に始まる一連の論文で、このような直観に反する実質含意に代わる、私たちの日常的に用法に近い含意として「厳密含意」を提案します*1

1912年と言えば、古典論理のひとまずの完成形とみなされるラッセル・ホワイトヘッド『プリンキピア・マテマティカ』の出版開始が1910年ですから、 このルイスの論文で提示された厳密含意の体系はまさに、「非古典」論理の嚆矢と言えると思います。

話が長くなってきましたが、まあゆっくりいきましょう。

先にオチを言ってしまうと、ルイスの厳密含意は、実質含意のパラドクスとほとんど同型の「厳密含意のパラドクス」が生じてしまうため、実質含意に対するオルタナティブにはなれませんでした。ただし、ルイスのこの試みから結果的に、非古典論理における2つの大きな潮流が生まれます。

ルイスの厳密含意は、ひとことで言えば「必然的な含意」です。A であれば必ず  B、です。現代論理学において、様相的意味あいを含む結合子が登場したのはこれが初めてだそうです。そしてその後、厳密含意に内包されていた様相的成分が含意成分と切り離され、様相演算子として独立に扱われるようになります。現代的な様相論理の誕生ですね。いまの表記法を使えば、厳密含意は  \Box (A\supset B) です。

他方、厳密含意のパラドクスから、様相では本質的な解決にならないということがわかり、含意に含まれる別の特徴を検討すべきだという動きが出てきます。その特徴とは「関連性 (relevance)」です。すなわち、「 A ならば  B」が正しいとすれば、 A B のあいだに内容上の関連性がなければならないはずだ、そして、実質含意・厳密含意のパラドクスは、そのような関連性をもたない含意を導いてしまうからこそ誤りなのだ、とする考え方です。この考え方が、関連性論理を生み出します。様相論理ほど大きな産業にはなっていませんが、わたしのいちばん好きな論理です。

 

さて少し長くなってしまったのですが、以上は、厳密含意についての教科書的な紹介です。ただ、この教科書的な紹介では、あまりよくわからないことがあります。すなわち、なぜそもそもルイスは、実質含意に代えて必然的な含意を導入すればパラドクスが解決されると思ったのでしょうか。もうひとつ、なぜルイスの厳密含意は失敗したのでしょうか。それはおそらく、元々のルイスの着想に穴があったからであるはずです。では、どのような穴があいていたのでしょうか。

1912年論文をこのような問題意識で読んでみると、非古典的な哲学的論理学のお手本のような議論が展開されていて面白かったので、とはいえ長くなったのでエントリを分けて、ルイスの議論を紹介しようと思います。続きます。

*1:この1912年論文の後は、

A New Algebra of Implications and Some Consequences (1913)

The calculus of strict implication (1914)

The Matrix Algebra for Implications (1914)

などと続きますが、今回は1912年論文だけ扱います。