論理学FAQのブログ

授業でもらったコメントに対して書いたリプライを、ブログ形式に編集しました。

C.I.ルイスの厳密含意 (2)

続きです。前回はこちら。

takuro-logic.hatenablog.com

かんたんに復習すると、「実質含意のパラドクスを解決するため、C.I.ルイスは必然的な含意としての厳密含意を導入した」という教科書的なお話に対して、ではなんでルイスは様相 (必然性) を導入すると実質含意のパラドクスが解決すると思ったのだろうか、という疑問を、彼の1912年の論文

academic.oup.com

を読んで考えよう、というものです。ただし、以下のまとめは、ルイスの論文をかなり大幅に再構成してますので、その点ご容赦を。

 

さて、議論を始めます。実質含意は

  A\supset B = \neg A\vee B (「A ならば B= A が偽または  B が真」)

を満たす、あるいはこのように定義される含意です。 「ならば」が「または」を使って表される (ないし定義される) というのは一見おかしなように思われますが、ルイスはこのことには異論は唱えません。

じっさい、「または (or)」には、「トリック・オア・トリート」に典型的に見られるような、「 Aさもなくば B」「 A でないならば B」という含意的な意味合いが含まれています。このような意味合いを含んだ適切な選言を使えば、パラドクスに陥ることなく、うまく含意が定義できるかもしれません。これは裏を返せば、実質含意の定義に使われる選言は適切なものではなかったということですが、では、どこが問題なんでしょうか。

実質含意のパラドクスとは、

  \neg A\models A\supset B   B\models A\supset B

という、直観的には正しいとは思えない推論が古典論理では妥当になってしまう、という問題でした。これら2つの推論を、選言  \vee を使って書き直すと、

  \neg A\models \neg A\vee B   B\models \neg A\vee B

となります。これは、いわゆる選言導入則

(ED)  A\models A\vee B   B\models A\vee B

 の一例にほかなりません。ルイスは (ED) を満たすような選言を外延的選言 (extensional disjunction) と呼びます。 (ED) は、 A あるいは  B の少なくとも一方が真であれば  A\vee B も真であるという、しごく当たり前に思える性質ですが、上で見たとおり、外延的選言を使って定義された含意はパラドクスに陥ることになります。というわけで、これがいわば病気の原因です。

 

とはいえ、(ED) を満たさないような選言なんてあるのかしらと思われるかもしれません。それが、わりとあるんですね。たとえば、突然iPhoneの電波が繋がらなくなったとき、わたしが慌てて

(*)「電話代払ってなくて止められたか、このiPhone壊れたかのどっちかやわ」

と言ったとしましょう。冷静な人なら「そうとは限らないでしょう」と言うのではないでしょうか。まちがって機内モードにしてたのに気づいていないだけかもしれないし、ケータイ会社の電波全体に障害が出ているのかもしれません。他の可能性もあるだろうというわけです。

ポイントは、上のわたしの発話(*)は、たとえ選言肢のどちらか (止められたor故障) が現実に真であったとしても、真とは見なされないだろう、ということです。なぜか。それは、(*)は現実ではなく可能性についての話だからです。すなわち、現実にどちらが真なのかとは関係なく「ともあれこれら2つ以外に可能性はない」という主張として理解されるからです。じっさい、上の仮想問答でわかるとおり、(*)は、他の可能性が指摘されることによって棄却されてしまいます。

さて、このような見立てが正しいとすれば、(*)は、現実に  A あるいは  B が真であっても真にならないような「 A または  B」です。つまり、私たちが求めている、(ED)を満たさない選言の実例にほかなりません。ルイスは、このように(ED)を満たさないような選言を内包的選言 (intensional disjunction) と呼び、内包的選言を用いて含意を定義しようと提案します。内包的選言を  \bullet で表すとすれば、

  A ならば B= \neg A\bullet B

です。この「ならば」を厳密含意と呼びます*1。内包的選言は(ED)を満たさないので、 厳密含意にかんしては、以前のような仕方ではパラドクスは生じないということになります。

 

このようにして導入された内包的選言および厳密含意の意味について確認しましょう。(*)は「この2つ以外に可能性はない」という主張でした。言い換えれば「この2つを両方とも否定することは不可能だ」ということです。現代的な記法で書いて、同値変形すると

  A\bullet B=\neg \diamondsuit (\neg A\wedge \neg B)=\Box \neg (\neg A\wedge\neg B)=\Box (A\vee B)

となります。 \neg A\wedge \neg B が「選言肢の両方を否定すること」を表しており、 \vee はその連言とド・モルガン則を通じて双対関係にある、外延的選言です。つまり、内包的選言とは、必然的な外延的選言と考えることができそうです。

すると、厳密含意はこうなります。

   A ならば B= \neg A\bullet B=\Box (\neg A\vee B)=\Box (A\supset B)

厳密含意=必然的な実質含意、ですね。めでたしめでたしです。

 

まとめると、まず、ルイスの方針は、(ED)をパラドクスの原因だと同定したうえで、(ED)を満たさない選言によって含意を定義することでパラドクスを回避しようというものでした。そして、(ED)を満たさない内包的選言で決定的な役割を果たしているのは、可能性ないし不可能性という様相であると分析しました。その分析を踏まえて、厳密含意は「必然的な実質含意」として特徴づけられることになります。これが、「なんでルイスは様相 (必然性) を導入すると実質含意のパラドクスが解決すると思ったのだろうか」の答えです。

 

問題の原因を明確に同定し、日常的な例に立ち戻って分析をやり直し、そこから摘出された概念を使って新しい理論を作る、という、哲学的論理学のお手本と言うべき、心が洗われるような議論でした。

でも残念ながら、これでは問題の十分な解決にはならなかったわけですね。次は、ルイスの分析のどこが不十分だったかをかんたんに見ることにしましょう。きょうはここまで。

*1:厳密含意の記号は"fish hook"と呼ばれるかわいい形なんですが、うまく出力できないのでここでは「ならば」で通します。