論理学FAQのブログ

授業でもらったコメントに対して書いたリプライを、ブログ形式に編集しました。

論理的実在論、にたどりつけなかった話

 前エントリで少し示唆した「論理学の哲学」についての話です。

takuro-logic.hatenablog.com

学生さんに「論理的実在論」(論理の実在論だったか、論理にかんする実在論だったか、言葉はあれですが) について教えてください、と言われていたので、少し勉強しました。ベースとして読んだのはTahkoさんの

link.springer.com

です。さいきんはオープンアクセスが多くていいですね。ただ、残念ながらあまりおもしろくはなかったので、どうおもしろくなかったのか考えてみます。

まず、論理的実在論とは何か。幾人かの論者に依拠しつつ、Tahkoは次のようにまとめます。論理的実在論とは、次の2つのテーゼにコミットする立場です:

(LF) 論理的事実 (logical fact、ないし論理的構造) なるものが存在する。すなわち、論理についての主張の真理値にかんする事実 (fact of matter) というものが存在する。

(IND) 論理的事実は、私たちの認知や言語の成り立ちや実践からは独立である。それらは、心からも言語からも独立 (mind- and language-independent) という意味で客観的である。

たとえば、排中律が論理的真理であるのは、それを(論理的に)真にする事実が、私たちの心や言語のなかにではなく、客観的な世界の側にあるから、という考え方のようです。そして、その場合の「事実」というのはだいたい、モデル論的な構造のことを念頭においておけばよさそうです。

わかるようなわからないような特徴づけなんですが、考察の出発点としても、やっぱりナイーブすぎるように思います。とくに、Tahkoが重点をおいている(IND)です。認知や言語から独立の客観的事実、という考え方です。

たとえば、論理学の基本的な定理である完全性定理は「任意の推論に対して、その妥当性を示す証明か、その非妥当性を示す反例モデルのいずれかが存在する」という定理です。「証明」はもちろん言語的な構成物です。他方、ここでの「反例モデル」はしばしば、論理式の集合からなる「カノニカルモデル」として与えられます。つまり、こちらも言語的な構成物です。完全性定理は、言語的な構成物を大々的に用いて証明される定理です。

比喩的に言うと、ここには、言語それ自体が、自身の論理的正しさを支えうるような「客観的事実」を構成しているという驚きがあります (わりとみんなに共有されている驚きだと思うんですが、どうでしょう)。論理にかかわる実在論を論じるなら、こういう驚きが出発点になると思うんですが、残念ながら、(IND)にはそういう驚きのカケラも見いだせないんですよね。

これは、言語独立なわけがないので(IND)は間違っている、と言っているわけではないです。「そもそもこういう考えてないのかしら?せっかくオイシイところなのに」と言いたくなるということです。

言い換えると、論理に特有の事柄をあまり考えずに、「実在論テンプレート」をそのまま当てはめているだけのように見えるのです。

  • 数学的事実は、私たちの認知や言語の成り立ちや実践からは独立である。
  • 物理的事実は、私たちの認知や言語の成り立ちや実践からは独立である。
  • 社会的事実は、私たちの認知や言語の成り立ちや実践からは独立である。
  • ・・・
  • 〇〇的事実は、私たちの認知や言語の成り立ちや実践からは独立である。

というテンプレートを、とりあえず論理に当てはめてみて、さてどうなるか見てみよう、という態度に見えるわけです。これでは、ちょっと動機づけが薄いように思います。

もう少しいやらしい話をすると、論理的実在論の動機づけについて、Tahkoは次のように言います。

なぜ論理的実在論に興味をもたねばならないのか?ひとつ明確な理由は、それが論理に対する興味ある基礎づけ(foundation)あるいは根拠づけ(grounding)を与えるだろうというものである。

えっいまどき基礎づけ?とか思うわけですが、そこに「あるいはgrounding」と付け加えられているので、わたしとしては、前エントリで数学の哲学について述べた「応用問題」の構造を見てとってしまいます。つまり、分析形而上学のホットトピックであるgroundingの概念を論理に応用するとどうなるのか、という話であって、ほらやっぱり、論理そのものにそんなに興味ないんじゃない?と。

もちろん、「テンプレート」にしても「応用問題」にしても、 理論の一般的妥当性を測り、一定の規格のもとでの可能な見解のカタログを作る、ということですから、意味のあるアプローチではあるとは思います。でも、まあ、わたしとしては、論理学にはこんなにいろいろおもしろいことがあるのに、それをほっといてなんでそんな空中戦やってんの…というのが正直な感想です。