論理学FAQのブログ

授業でもらったコメントに対して書いたリプライを、ブログ形式に編集しました。

トートロジーや矛盾は「少ない」のか

2019年5月7日のコメントペーパーより。レジュメは古典命題論理

コメント:トートロジーと矛盾を合わせても、それ以外のものと比べるとほんの一部のように思ったのですが、そんなことはないのですか?

回答:教科書的な回答をすると、そんなことはないんですね。細かいことは省きますが、まず、すべての論理式の数は無限にあります。無限にもいろいろな大きさはあるのですが、論理式の数は、いまやっているふつうの命題論理の範囲では、そのうちもっとも小さな可算無限 (countable infinite)です。自然数と同じだけの数、言い換えると、自然数と一対一対応がつくだけあります。

次に、トートロジーでも矛盾でもない論理式も無限にあります。そのような論理式の典型例が命題変項ですが、命題変項は

 p_0,p_1,p_2,\ldots

と可算無限個あります。

では、トートロジーや矛盾はどうでしょうか。たとえば排中律  p_0\vee \neg p_0トートロジーですね。どんなモデルでも真理値1です。とすると、


 (p_0\vee \neg p_0)\vee p_0, (p_0\vee \neg p_0)\vee p_1, (p_0\vee \neg p_0)\vee p_2, \ldots


という形の論理式もすべてトートロジーになります。選言は片方が1なら1なので、排中律の横に何を選言でくっつけても真理値は1です。こうしてトートロジーも無限にあることがわかりました(もちろんこれら以外の形をしたトートロジーもたくさんあります)。 

矛盾の場合も同様です。 p_0\wedge \neg p_0 は矛盾です。つねに真理値0です。そして、連言は片方が0なら0になりますから、やはり、


 (p_0\wedge \neg p_0)\wedge p_0,(p_0\wedge \neg p_0)\wedge p_1, (p_0\wedge \neg p_0)\wedge p_2,\ldots


と、矛盾も無限にあることがわかります。

ということで、トートロジーも、矛盾も、そのどちらでもない論理式も、いずれも可算無限個あるのですべて同数で、その意味では「ほんの一部」ではないことになります*1

とはいえ、質問をくれた方は「そういう話じゃないんだけど…」と思われるかもしれません。トートロジーや矛盾は「つねに1」とか「つねに0」とかの極限事例であり、なぜそんなキワキワのところに注目するのかということだと思います。気持ちとしてはよくわかります。関連した質問が以下に続きます: 

takuro-logic.hatenablog.com

 

*1:トートロジーも、矛盾も、そのどちらでもない論理式も、どれも論理式全体の真部分集合なのに、大きさが論理式全体と同じ(可算無限)なのを不思議に思う人もいるかもしれません。これが無限のおもしろいところで、まさにこの「自身の真部分集合と同数になる」ことを「無限」の定義とする流儀もあります(デデキント無限というやつです)。腑に落ちない方は、たとえば自然数の部分集合としての奇数全体の集合とか、偶数全体の集合とか、あるいは3の倍数の集合とかを考えると、論理式に特有の話でもなく、よくある話だと思えるかもしれません。