論理学FAQのブログ

授業でもらったコメントに対して書いたリプライを、ブログ形式に編集しました。

四句分別と分析アジア哲学

2019年5月13日のコメントペーパーより。レジュメは古典命題論理

コメント:中観派の思想に触れることがあったのですが、「真でも偽でもない」というようなことを述べていました。(西洋)哲学の文脈でもそのようなことは考えられたりしているのでしょうか。

 回答:そんなあなたにぴったりなのが、Priest, "The logic of the catuskoti"*1です。Catuskoti*2は、英語ではtetralemmaとかfour corners、日本語だと「四句分別」と呼ばれる、仏教を中心とするインド思想で用いられる論理的原理です。龍樹(ナーガールジュナ)が『中論』のなかで何度も用いていることで知られています。

それによれば、命題には「真」と「偽」だけでなく「真かつ偽」「真でも偽でもない」の4つの可能性があります。これがそもそも何を言っているかに解釈の余地はいくらでもあるわけですが、もし素直にとるとするならば、後二者は無矛盾律排中律に反するあからさまな矛盾です。ということで、西洋的観点からすると、仏教などの東洋思想はしばしばこの意味で不合理 (irrational) だとされます (これは、そこがむしろ魅力なのだという見方と裏表です)。

プリーストは上記論文をはじめとする膨大な著作群*3で、このような見方に真っ向から反対し、現代的な非古典論理を使えば、Catuskotiの論理が合理的に再構成できることを示しています。もちろん、龍樹が非古典論理のことを知る由もないですから、ある意味でこれは時代錯誤的な押しつけではあります。

などと言われつつも、現代論理学やもう少し広く分析哲学の立場から、仏教をはじめとするアジアの宗教思想を合理化しながら解釈しよう、という分析アジア哲学の潮流は、だいぶ強いものになってきているように思います。興味のある人は、次あたりの文献を見てみてはいかがでしょうか。

 

global.oup.com

global.oup.com

global.oup.com

global.oup.com

 

*1:Priest (2010). "The logic of Catsukoti [PDF]," Comparative Philosophy, 1, 2.

*2:チャトゥスコティとみんな発音しているような

*3:代表的なのはPriest, G. (2002). Beyond the Limits of Thought: Oxford University Press でしょうか。