2019年5月7日のコメントペーパーより。レジュメは古典命題論理。
前エントリー
と少し関連します。
コメント:中間的な事柄が存在しうる対象をどのように攻略していくのだろうか。
回答:おそらく、トートロジーでも矛盾でもない論理式を論理学はどのように扱うのか、という趣旨の質問だと思います。ここで、論理学はトートロジーや矛盾 (だけ) の学問ではなく、推論の学問だという考え方がきいてくる気がします。
たとえば、命題変項 (が表す命題) はトートロジーでも矛盾でもありませんが、では、論理学にとってこの は意味がないかと言うと必ずしもそうでもありません。たとえば、 からは が帰結します。また は から帰結します。これらの他にも、 から帰結する論理式、および を帰結する論理式はいろいろと考えられます。こうして、 が、帰結関係 (妥当な推論) を通じて、他の多くの論理式からなるネットワークの中に位置づけられます。もちろん だけでなく、 や も、ネットワークの中のまた別のところに位置づけられます。というわけで、こうした位置づけを与えることが「中間的な事柄が存在しうる対象の攻略法」と言えるのではないでしょうか。
私見では、論理学は、第一義的には、さまざまな論理式のあいだのこのようなネットワークを定義し、その性質を調べることにかかわるのだと思います。トートロジーや矛盾は、このネットワークの極端な場所に位置づけられる特別な論理式ではありますが、そのような「特別さ」が意味をなすのも、このネットワークの全体があってこその話です。