古典論理より強くも弱くもない論理
後期の授業が始まったので再開です。
2019年10月7日のコメントペーパーより。レジュメは非古典的な含意と否定I:厳密含意。
コメント:
回答:同趣旨の質問と理解しましたのでまとめています。
[補足] 古典命題論理はある意味で「最強」の論理で、それよりも真に強い論理はトリビアルな論理 (すべての推論が妥当だとされてしまう論理) しかないという性質が知られています (「ポスト完全性 Post-completeness」と呼ばれます)。なので、「非古典」論理を考えるときにはふつう、古典論理よりも弱い論理を考えるのだという話をしました。[補足終了]
さて、こういう質問が出てくるのでこの授業は気が抜けませんね。(ま、こういう質問が出るよう誘導するような説明の仕方をしたんですが。) はい、あります。わたしが知っている一例だけ紹介します。
ある命題 からその否定 が導かれるのはおかしな話です。その逆、 から が導かれるというのも同様におかしいですね。ということで、
はいずれも古典論理では妥当ではありません。他方で、これらを否定した
(AT)
は、妥当になってもおかしくないですが、古典論理では妥当ではありません。また、これらとほぼ同じ内容の
(BT)
も同じく古典論理では妥当ではありません。(AT)は「アリストテレスのテーゼ (Aristotle's Theses)」、(BT)は「ボエティウスのテーゼ(Boethius' Theses)」と呼ばれています。これら(AT)と(BT)を妥当にする論理を一般にConnexive logicと呼びます。訳語はまだ定まっていないと思います。「結合論理」くらいでしょうか。
もちろん、古典論理にこれらをそのまま加えたらトリビアルになってしまいますので、トリビアルでないconnexive logicを作るためには、古典論理の何らかの推論を妥当でなくする必要があります。うまくやればできます。そして、どの推論を落とすかによって、いろんなconnexive logicができることになります。というわけで、connexive logicが「古典論理より真に強くもなく弱くもない論理」の一例ということになります。
現在ではドイツのHeinrich Wansingがconnexive logicの第一人者だと思います。Stanford Encyclopedia of Philosophyのエントリも彼が書いています。
plato.stanford.eduそして、以前京大哲学研究室でポスドクをされていた、われらが大森仁さんが、いまWansing先生と一緒に第一線でバリバリ研究を推進されています。彼がオーガナイズする第5回Connexive Logicワークショップが11月に開催されます。
わたしはこのワークショップの前に開催されるLogic of Paradoxの学会で発表予定です。なにはともあれ大森さんに会うのが楽しみです。