論理学FAQのブログ

授業でもらったコメントに対して書いたリプライを、ブログ形式に編集しました。

君ら、ほんまに興味あるんか?

以前、科学基礎論学会でイアン・ハッキングの数学の哲学について発表をしました(スライドはこちら)。ちょうど来日滞在中だったLeon Horsten先生と (それにわれらが伊藤遼さんと) 一緒にパネルをさせてもらったのが、とてもよい思い出です。

発表の内容は「なんでハッキングは分析的な数学の哲学がきらいなのか」。で、おもいっきりざっくり言えば、ハッキングが言いたいのは「君ら、じつは数学にはそんな興味ないんやろ?」ということです。さりげなく宣伝ですが、

www.morikita.co.jp

この本での議論に基づいています。

もう少し詳しく言うとこういうことです*1。ハッキングの見立てによれば、20世紀後半以降の分析哲学の伝統における数学の哲学の議論のやり方は、概して、そのときどきの流行の哲学理論を取り上げて、それが数学にいかにして適用できるか(あるいはできないか)を論じる、というものでした。彼の念頭にあるのは、いわゆる「ベナセラフのジレンマ」に登場する因果的な知識論や表示的意味論といった哲学理論です。

これらは、必ずしも数学にかんする哲学的な考察からではなく、むしろ別のところで生まれた理論です。数学はそこでは、それらの理論の一般的な妥当性を測るための試金石として用いられているにすぎません。ハッキングとしては「君ら、じつは数学にはそんな興味ないんやろ?」と言いたくなるわけです。ほんとに興味があるのはそっちの理論の方でしょ、と。

もちろん、このような分析的な数学の哲学の営みからも多くを学べるということは、ハッキングも認めています。でも、彼にしてみれば、それは付随的なものにすぎません。プラトンからウィトゲンシュタインに至る哲学者たちの数学への態度を振り返ってみれば、数学というのはそのような「応用問題」の材料なんかではなかった、むしろ数学それ自体がシリアスな哲学的問題の源泉だったじゃないか、というのが、ハッキングの言いたいことでした。

 

で、なんでこういうことを思い出しているかというと、いまちょうど論理学の哲学の論文を読んでいて、まさに同じことを感じたからです。「君ら、じつは論理学にはそんな興味ないんやろ?」です。まだその論文は読み終わっていないので、もう少し検討しますが、この印象が正しければまた報告します。

*1:いちおうお断りしておくと、かなり要約・意訳・咀嚼が入っています。