2019年4月22日のコメントペーパーより。レジュメは古典命題論理。
コメント:が、ものときに、がになる理由がわからないです。たとえばレストランで「ライスまたはパンを注文してください」とあるときには、ライスとパンを両方くださいと言ってもよいことになる気がします。
回答:古典論理の「または」は
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0 | 0 | 0 |
という真理表で定義されるので、との両方のときも真になります。もし両方食べられるなら「ライスまたはパン」ではなくて「ライスとパン」と書いといてくれよ、ということですね。
簡単にいうと、日本語の「または」は多義的で、真理表で定義されるが表す「または」と、「ライスまたはパン」の「または」とでは意味が違う、ということになるでしょうね。真理値表の「または」は
応募資格は (A) 情報系大学院を修了した方、または (B) IT企業で3年以上勤務経験のある方
のようなときの「または」に近いと言ってよいでしょう。この場合は(A)と(B)の両方を満たしていても、応募資格には問題はありません。
ただ話はこれで終わりではなく、「ライスまたはパン」の「または」はどんな「または」なのかというのはとても面白い問題で、ここに、古典論理では扱いきれないさまざまな論点が隠れています。
じつは「ライスまたはパン」のように、レストランで出てくる「または」自体が多義的でありえます。「メインは肉または魚です」のほうがわかりやすいかもしれません。これは、
- メイン料理として客が肉料理か魚料理のどちらかを選べる、という意味と
- メイン料理は肉の日と魚の日がある (店に入って聞いてみないとわからない)、という意味
の2種類の読みができます。いずれの読みでも2つの選択肢のどちらか一方は必ず得られることは確かですが、その選択肢を 1. 客である自分が選べる場合と、2. 自分ではない相手(レストラン側)が選んで決めてしまう場合の2つがあるということです。
このうち1.は、肉と魚、どちらでも選ぶことができるという点で、選言よりはむしろ連言であると見なされます (加法的連言 additive conjunctionと呼ばれます)。もちろん、肉と魚の両方が食べられるという意味での連言とは区別されます (そちらは乗法的連言 multiplicative conjunctionと呼ばれます)。
対して、2.の「または」は加法的選言 (additive disjunction)と呼ばれます。上の応募資格の「または」を募集する側から見た場合も、2.に近いでしょう。つまり、どの応募者も必ず(A), (B)のどちらか一方は満たすと期待できますが、どちらを満たすかは募集側で予め決めてしまうことはできません。
どちらか一方は得られるのだけれど、それをこちらが選ぶのか、あちらが選ぶのかによって、「または」が連言になったり選言になったりするんですね。
まだ続きますが、長くなったので、エントリを分けることにしましょう。