論理学FAQのブログ

授業でもらったコメントに対して書いたリプライを、ブログ形式に編集しました。

にわとりとタマゴ:様相と到達可能性関係

2019年5月20日のコメントペーパーより。レジュメは様相命題論理

コメント:到達可能性関係はどのように決まる?各世界の真理値が与えられても関係  R は決まらないのか?この「関係」とは何ぞ…?

回答:これまた難しい質問ですね。(おそらく) 初めて可能世界に触れた方の戸惑いがよくわかります。いや、こういう質問はありがたいです。

数学的には、様相論理のモデルは、可能世界の集合  W に対して到達可能性関係  R と各世界における付値  v を決めることで決まります。ここで、到達可能性関係と付値は独立に決められますので、その意味では、「各世界の真理値が与えられても R は決まらない」と言ってもよいかもしれません。

他方で、 \Box\diamondsuit を含む論理式の、ある世界における真理値は、その世界から  R で到達可能な世界における真理値を参照して決まりますから、ここでは「各世界の真理値が与えられても  R は決まらない?」という問いは、少しナンセンス気味になります。

以上は数学的な定義についての話なので、少しポイントを外しているかもしれません。以下のような話はどうでしょうか。要点を先に言うと、上の話では、

到達可能性関係が先に決まって、それによって \Box\diamondsuit 論理式の真理値が決まる

という順序でした。関係が先、様相論理式が後、という順序です。で、この概念的な順序はじっさいのところ適切だろうかという話です。

 

義務様相で考えましょう。 \Box A は「 A しなければならない」と読みます。その真理値は「 yx から見て道徳的に理想的な世界である」という到達可能性関係  xRy を使って、

 v(x,\Box A)=1 \iff xRy なるすべての y について  v(y,A)=1

と定義されます。この定義の仕方は「…は…から見て道徳的に理想的な世界である」という関係によって、「しなければならない」という様相を定義しているものと解釈することができます。先に述べたとおり、関係が先でそれによって様相が定義される、という順序です。

しかし、じっさいのところ、ある可能世界  y が別の世界 x から見て道徳的に理想的な世界である、とはどういうことでしょうか。そのような  y って、 x で「しなければならない」とされていることが実現されている世界のことではないでしょうか。それ以外に説明のしようがあるでしょうか。

言いたいのは、最初の定義では到達可能性関係によって様相を定義したのに、その元の関係とは何かを説明しようとすると、様相 (「しなければならない」) を持ち出さざるをえないように思える、ということです。循環が生じているように思えます。

 

時制論理で考えてみましょう。 yRx は「 y x より過去の時点である」と解釈します。ある時点  x で「 A であった」が真であるのは、 yRx であるようなある y で、つまりある過去の時点  y A が成り立つとき、と考えられます。ここでは、時点のあいだの過去-現在関係がまず定義され、それに基づいて過去時制の命題の真偽が決定されます。

しかし、この定義の順序は絶対的なものでしょうか。むしろ逆に、現在から見て過去の時点とは、現在において「 A であった」が真であるようなすべての  A が成り立っている時点のこと、と考えてはいけないのでしょうか。つまり、時点のあいだの関係は、時制命題の真偽を決定するものではなく、むしろ時制命題の真偽によって決定されるものと考えてはいけないのでしょうか。

 

可能性について考えてみましょう。この現実世界から見て可能な世界で  A が真だから、この世界で「 A は可能である」が真なのではなく、むしろ、この世界で「 A は可能である」が真とされているような  A が成り立っているから、その世界が可能世界なのだ、と考えてはいけないんでしょうか。

 

繰り返しになりますが、以上は、時制や義務を含む様相命題の真偽ないし意味と、到達可能性関係とのあいだの、概念的先行関係についての問題です。可能世界意味論の発案者の一人であるアーサー・プライアーは次のように言っています。

たしかに、成り立つ (to be the case) ということは、この現実世界で成り立つということである。しかしこの同値性は、成り立つということの意味の説明ではなく、むしろ「現実世界で」というフレーズの意味の説明なのである。ある可能世界で成り立つということは、それが成り立ちうるということ [によって説明されるべき] であり、想像世界 (imagined world) で成り立つということは、それが成立することを想像できるということ [によって説明されるべき] であり、より以前の世界 (former world) で成り立つということは、それが成り立っていたということ [によって説明されるべき] であり、そして、現実世界で成り立つということは、要するに、成り立つということ [によって説明されるべき] なのである。("Worlds, Times and Selves," p.244)*1

さいきんは、否定についてもこういう論争が持ち上がったりしてますが、まあその話はおいおい。

*1:Prior, A. (2003). Papers on Time and Tense: P. Hasle, P. Øhrstrøm, T. Braüner, and J. Copeland (eds.), Oxford University Press.